僕は、この本をなんの前提知識もなく読み始めた。
頁を開くと”台湾漫遊録”、作者は青山千鶴子とある。さて、僕の買った本、楊双子著 ”台湾漫遊録のふたり”はどこに?
そうか、この”台湾漫遊録を題材にして話が展開したりしてなどと思いながら、ままよと読み進んで行っても何か落ち着かない。
最初のうちは、落ち着かない気持ちのまま種明かしでもあるのだろうと思いながら読んでいたのだが、そのうち、そんな事は忘れてしまって話の中にどっぷりと入り込んでしまった。
文学作品で、先を読みたい、次はどうなる? と催促するような気持になるのも久しぶりのような気がする。
それは、登場人物の会話とか話の展開とか周りの描写とか、いろんな速度が僕の本来持っている速度とリンクしたようで気持ちいい。
そうかと読み終わって気づいたのだが、最近の日本の小説でなんとなく感じていた感覚、まどろっこしいとか、しつこいとか、描写が細かすぎるとか、主題に作為的に持って行こうとする違和感とか、そんなものは何も感じさせない清々しさ。
ただ、著者があとがきで述べているのだが、この本は最初から最後まで計算しつくされて書かれた虚構の世界であり、著述方法も檀一雄や池波正太郎をイメージしているらしい。という事は、僕の感覚は彼ら古い小説家のスタイルに合っているだけだと言う事なのかもしれない。とほほ・・・
そんな著述のイメージもそうだし、原注をそれらしく入れたり、徹底的に歴史的、地理的または文化的な背景を調べつくして構成された楊双子ワールドに、僕は自覚のないまま首まで浸かってしまった。
そして、たぶん三浦裕子さんの翻訳がなければ、日本人である僕が、四国でも関東でもない故郷の福岡のうどんを食べるように自然にスルスルと身体の中に入れていけなかったように思う。
2026年9月5日の毎日新聞の今週の本棚欄に、僕の敬愛する加藤陽子さんの書評が載っている。これによると加藤さんは、「あとがき」愛読党を自称する身なので、「あとがき」から読む、とある。
しかし、この本に関しては、これはいただけない。絶対にやめたほうがいい。
とにかく、最初の頁から読み始めること、あとがきは最後に読むこと。
