第二次大戦時、ロシア軍が迫りくるハンガリーにおいてユダヤ人から没収した資産を退避させる列車とそれにまつわる人々の物語である。
この本は実話をもとに書かれたフィクションらしい。
最初に読み始めて、ふと思い出したのはチャーリー・マフィン。
全然関係ないのだけれど雨のカレル橋かなんかで密会する、そんな東欧の暗い静かな夜。
なんとなく好きな雰囲気。
ただ、すぐ気が付いたのだけれどやたらと”。”が多い。ブツブツと文章がブツ切れる。まあ、そんな小説手法もあるのだろうし、実際今までも出会った気がするのだけれど、ここまでやっていたのは記憶にない。
そんな事も読み進めて行くうちに慣れてくるのだけれど、なかなか慣れなかったのが、ほとんどの時制が現在形で書かれている。
何か、脚本のような感じというか、これにはなかなか慣れなかった。
そんな違和感たっぷりで読み始めたのだけれど、なかなか面白い。最近の小説にしては、細かい所作や物をていねいに描写していて雰囲気をうまく表現している。ちょっと昔の翻訳小説のような匂いがする。
ただ、気になったのはユダヤ資産管理委員会次長のアヴァルと部下のミンゴヴィッツとの会話が、職階とは逆転しているところ。
つまり、次長のアヴァルがへりくだって部下のミンゴヴィッツが横柄な物言いなのだ。
どこかで、それを説明するような所があったのかもしれないが、僕は気が付かなかった。
そして、読み終わった後に思った事は、作家というものはこう言う本で何を言いたくて書くのだろうかと言う事。例えば、この本で著者は何を一番言いたかったのだろう?
人生のはかなさ? 戦時のユダヤ人の過酷な境遇? かつてこのような列車が存在したという史実?
ただ単に物語を紡いだという、小説と言うものを作り上げたというだけのことなのか?
著者に限らず小説家が、このような本を書きたいと思うとき動機はなんなんだろう?
読者が勝手に感じればいいことで、そこまで考えることはないのかもしれないけれど、ふと思った。