小学校高学年か中学生の頃、たまにひとりで夜釣りに行っていた。神奈川に住むようになってからも、独身の時は、たまに夜釣りに行っていた。
夜釣りに行って釣れないと往生際が悪い僕は、朝まで粘るときもあった。
そんなとき、夜から朝になる瞬間の空は信じられないくらい美しい。
工場の灯りが煌々と照っている横浜の港の夜明け間近の空は、星の数こそたいしたことないが、漆黒の空と海との境目あたりがほんの少し濃紺になったかと思うと瞬く間にその濃紺の領域を広げていく。
ネイビーブルー、ブルーブラック、ブラックと言う感じでだんだんとブラックが追いやられて行く。
そして、水平線の彼方にほんの少しでもライトブルーが見えたらもうお手上げ、朝の圧勝だ。
そして、僕はいつもその濃紺の空の美しさに見とれながら去って行く夜を惜しんだ。
そして、俗っぽいつまらない朝を迎える。
この本の題名を見たとき、そんな事を思い出したら、無性にこの本を読んでみたくなった。
詩集なんてガラじゃないんだけどなぁ、なんて思いながらページを開くと、目次が目に入って来た。なかなか、詩集っぽくていい。
そして、いよいよ詩に目をとおす。う~ん、最初に本の題”夜空はいつでも最高密度の青色だ”が出て来た。いやぁ、いい雰囲気だ。
次の詩、次の詩と進んで行くが、なかなか進まない。
昔、私小説を読んでいた頃ならもう少しすんなり入って行けたのかもしれないけれど、余りにも人間の内面に向けられた言葉は、なかなか消化できない。
ここ二十年ほどは、研究書や文献やノンフィクションの類が多く、小説さえもストーリーで読ませる本ばかり読んでいた僕には、君と僕くらいしか出て来ない圧倒的に個人に訴えかける文章は、なんども文字を追って行くのだけれどなかなか咀嚼できない。
そこで気が付いた、作者の意図を、文章を、僕は理解しようとしていたのだ。そうじゃなく、詩なんだから、絵画のように感じればいいんだと。
きっと、作者は構想を練りに練って、言葉を細心の注意を払って選んで詩を作り、そのたくさん作った詩の中から選りに選って、この本を完成させたのだろうけれど、そんな事は知ったこっちゃない。
俺が感じれば、それでいいんだ。
そう、言葉のひとつ、だけじゃなく文字のひとつさえも感じる。
そう思って何度も読み返してみるとなんとなく良く売れた本だと言うのが分かるような気がして来た。
若者には、グッと来るものがあるのだろう。
でも、そろそろ年金を貰える歳になってきた僕には、懐かしい感じがして、ちょっと眩しかった。