この本、小説だと思って読み始めた。
一人称の子供がしゃべっているのだが、それが複数人である事に気づいて何か違う雰囲気を感じる。ああ、まだプロローグだからかと思っているといつの間にか本編に入っていて、これが最後まで続くのである。
この本はドキュメンタリーだったのだ。
後々、戦時中に風船爆弾を作る事になる雙葉高等女学校と跡見女学校、そして麹町高等女学校の女の子たちが小学校一年生になるときから物語が始まる。そして、それと並列に宝塚歌劇団の女の子たちの物語も語られる。
「わたしは、・・・」、「わたしたちは、・・・」これが延々と続くのである。これが、新鮮な響きを持って文章にリズム感を持たせてくれる。そして、細かい描写と相まって程よいリアリティを感じるのである。
この作者、なかなかやるなぁと思ってしまう。
そして、日中戦争から太平洋戦中、戦後の女学校の生徒たちの日常の生活の描写は、市井の人々の生活の描写と重なりあって貴重な歴史の証言となっている。
そういう意味でも、この本は優れたドキュメンタリーと言えるだろう。
また、この本が相当な労作だっただろう事は、本の最後にある大量の参考文献の一覧を見ても窺える。
ただ、ちょっと引っ掛かったのは、物語がだいたい一人称の現在形で進むので、語り手はその時代の人間として語っていると思ってしまうのだけれど、そうではないらしい事に途中で読者は気がつく。
例えば、「わたしたちの兵隊は、中国人の女を、少女を、姦す。」と言うくだりがあるのだが、これなど当時の日本国内の女性が知っているはずもなく、結局過去を振り返って物語は語られているのだと気付くのである。
これは、ちょっと読者に対して親切じゃないと言うか、読者を混乱させるのである。
まあ、わかってしまえばそれにもすぐ慣れるのではあるのだけれど。
そんな事も少しは感じたのだが、この本の文体はドキュメンタリーの新しい手法なのか以前からあったのかは知らないが、なかなか新鮮で心地よかった。
この著者の本、何かご縁があればまた読んでみたいと思う。