ふたたび 甲子園の心を求めて 佐藤道輔著

Pocket

僕の野球経験は小学生の頃の二年間のみである。
ただ、60歳過ぎのジジイの日本人であるからして、一番身近なスポーツと言えばやはり野球である。
60年近く横目でチラチラと見てきた。

息子が小学校3年生のときに野球を始めた。当然、僕もお父さんコーチとして一緒のチームで頑張った。最初は小学生相手のコーチなんて大したことないだろうと高をくくっていた。ところがどっこい、これが本当に難しい。それ以来、息子の成長とともに中学、高校、大学と野球に接してきた。

そんなことから、何かのメディアで話題にのぼったこの本を読んでみることにした。実は、この本は、「甲子園の心を求めて」、「続甲子園の心を求めて」、「新甲子園の心を求めて」、というシリーズ物の続編である。本当は、「甲子園の心を求めて」を読みたかったのだが、図書館にこの本しかなかったのである。

著者は都立高校の先生で、長く野球部の監督をされて来た方で東京都高野連の常務理事でもある。
たぶん、いい先生なんだろうなぁ。先生自身もずっとやってこられて幸せな教師生活だったんだろうなぁ。なんて、つい思ってしまうくらいの高校野球賛歌である。

僕が口を挟む事など何もない。
泥だらけのユニフォーム、フェアプレイ、勝敗ではなくそこに至る過程にこそ意義がある。ごもっとも、ごもっとも。

僕のつたない野球経験でもこの本を読んでいると思い出が蘇ってくる。
シートノックでビシッと決まったときの集中力と一体感。
逆転サヨナラで勝ったときの興奮。
泥だらけのユニフォームと頬を伝う汗、屈託のない子供達の笑い声。
夕暮れ時、最後のブラシがけをしたグラウンドをあらためて眺めたときの清々しさ。
夕方、練習試合からホームグラウンドに帰ってきたときのけだるさと安堵感。
いろんな感情が懐かしく思いおこされた。

高校野球ってこうあって欲しいと誰もが願うことが、または、こうあるべきだと言ったほうがいいかもしれないことが、この本には詰まっている。高校野球のバイブルと言っていいかもしれない。もちろん、高野連推薦だろう。
このシリーズはどれもそうなんだろう。しかし、このシリーズ物もここら辺りで打ち止めにしてしまって、まったく違う観点から高校野球について語るというのはどうだろう。

甲子園、高野連と言って僕が一番に思い起こすのは、花巻東の選手が何本もカットしてファウルで粘っていたあの場面。彼の凄いところは、選球眼とそれに加えて最後にヒットを打つところであった。僕は、小さな身体の彼の長い鍛錬の日々に思いを馳せた。
これを高野連は裏からダメ出しをした。

ルールと言うものは、すべての関係者全員の共通認識を得ているという前提でなければ不公平になる。百歩譲ってバントの延長だからと言うなら地方大会の一回戦からルール違反であった筈だ。
それを良く言えば非公式に大会の半ばでダメ出しをするなんて、なんともアンフェアなフェアプレイ精神に欠ける行為ではないか?
高野連の役員でもある佐藤先生ならなんとおっしゃるのか、お聞きしたいなと思う。

また、佐藤先生が、たぶん40年間くらいだと思うけれどその間に辞めて行って二度と戻って来なかった生徒はいなかったのだろうか?
もしあれば、そのときの思いや監督時代の悩みや葛藤などいろいろとあったのではないだろうか?

この本に書かれている美しき高校野球以外の観点から見た、こんなことあんなことについて佐藤先生に思いを書いて頂けたらいいなぁなんて、僕は思ってしまった。

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。