終戦直後の昭和23年、ひとりの女の子がアメリカに留学のため旅立った。あの犬養毅のお孫さんである。
本当は、ヨーロッパに行きたかったのだけれど、親の世話にもなりたくないし時代も時代であり直接行くのはかなわないので、いちど奨学金の出るアメリカに留学してアメリカ経由でヨーロッパに行こうと言う、なんとも壮大な計画である。
そして、名家の令嬢はそれから10年欧米を放浪したのである。
その10年間、一冊の本にはまとめきれない程のいろんな出来事があっただろう。そして、その中からほんの一握りのトピックを取り上げているだけだろうけれど、この本の底を流れる著者の若者らしいバイタリティや好奇心、感受性が清々しい。
アメリカ、オランダ、フランス、イタリアと各国を旅する。古い建物や遺跡の話、町や村や市場の話、イベントや自分自身の生活の話もある。だが、結局は人の話である。ここで、お嬢さん育ちのすくすくと育った彼女の素直さがとても魅力的に映る。
歴史や文化や言語に関する知識と教養と至極真っ当な物の考え方を持つ彼女が、あの軍国主義の最中に教育を受けた人であると言うことをあらためて思うと僕は嬉しくなってきた。また、ご両親をはじめ彼女の周りの人々の教育に対する矜持のようなものを想像してしまう。
まあ、しかし昭和23年に女の子が自費留学。
昭和30年代後半の僕の育った九州の小学校では、まだ金持ちの子も貧乏人の子もズボンの膝は、だいたいの子は繕っていた。そんな時代。
そのぶっ飛んだ行動は、たぶん今の若者の想像を遥かに超えるものだったに違いない。
と思って著者略歴を見ると、津田塾。
津田塾と言うと思い出すのが、二十数年前に僕が働いていた職場で津田塾を出てそのままアルバイトで事務をやっていた径子さんのことだ。
「津田塾ならいい就職先もあったろうに花嫁修業?」なんて聞くと笑いながら「やりたい事もないのでなんとなく」なんて言っていたのだが、ある日突然介護施設で働くと言って辞めてしまった。
おまけにその職場にたまに顔を出していた津田塾の彼女の同級生は看護師になると言う。
いやはや、親御さんは娘が4年制の大学を卒業してホッとしたと思ったら、ひとりは介護施設、ひとりは看護学校とは。
その後、彼女はガリガリに痩せて見るからに仕事が大変そうだったが、楽しそうにお年寄りと一緒に写った写真を送って来たりしてくれ、また、彼女の友人のほうは、戴帽式の写真を送って来てくれたりした。
だから僕は、津田塾と聞くとぶっ飛んだ女性のイメージが固定観念として植え付けられている。
犬養道子女史もか、やっぱりね。
そう思ってWikipediaで見てみると、いるわいるわ有名人と言うより開拓者かな、女性の東大教授第一号、女性局長第一号、政治家、官僚、社長、あの赤松さんもかぁ、流石だね。
この本は、昭和33年に刊行されたもので、その初版本である。僕が、3歳のときだ。
定価は270円、昭和30年頃の大卒初任給が一万円弱で高卒が6~7千円くらいと聞いた事があるので、単純に今と比較すると20~30倍として270×20=5400円。
どへぇ~、結構な値段だったんだなぁ。
それを図書館から借りて来たのだが、もうボロボロである。よくぞ、今まで保管してくださった。有難う。
ああ、またお気に入りの作家が見つかったと思ったら彼女は2017年に亡くなっていた。97歳。
僕の父より4歳上なんだから当たり前か。
とにかく、読んでいて気持ちのいい文章で楽しかったし、僕も何かポジティブな感覚をおすそ分けして貰った気分だ。