総点検・日本海軍と昭和史 半藤一利 保坂正康著

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この本、帝国海軍のOB会であるところの水交会より刊行された「帝国海軍 提督達の遺稿 小柳資料」と言う本の内容を中心に著者ふたりが対談形式で海軍とその提督達を検証しようとする本である。

僕は、常々日中戦争から太平洋戦争にかけての作戦で日本陸海軍が行なってきた事に関心を持って来た。それは、今の日本の行政組織が戦前の巨大な官僚組織である陸海軍に通じるものがあるのではないかと思って来たからである。

例えば、先日の大川原化工機の冤罪事件において事件を捏造した担当者が出世した事や、ノコギリを持った老人や暴走車の運転手を拳銃で撃ち殺したりした警官がなんの査問も受けずにいる事、森友・加計事件の責任者が出世した事等は、僕にとっては不思議でならない事である。それは、満州事変や南京事件、インパール作戦の責任者が何の咎めも受けずにいた事に僕の中では通ずるのである。

加えて、マスコミが見て見ぬふりをしたり忖度したりと言うところもだけれど。
そもそも、これらはこの国の組織と言う物に共通する事柄であり、それは日本民族が持っている性質が原因であるから敗戦前も後も関係なく、これからも連綿と続いていくものではないかと疑っているのである。
そんな僕にとって、この本は大変興味深い読み物であった。

この水交会の「小柳資料」と言うものは、終戦十数年後に帝国海軍の元提督達に小柳冨次と言う提督が聴き取りしたインタビュー集である。
こんな「小柳資料」を直接読んでも、僕にはその内容が言い訳なのか、真摯に語っているのかさえ判然としないだろうから、この昭和史の専門家の目を通した論評は有難い。

具体的な資料として新発見があるとかと言う意味では、それほどではないようだが、それぞれの出来事があった時々の海軍部内の雰囲気は充分伝わってくる。
今でも日本の組織ではよく見られる、あいつがこれだけ言うんだからやらせてみようとか、会議で大きな声を出す者の言う事が通る、部下が何人か徒党を組んで上司に談判すると上司はビビッてすんなり意見が通る、閥なんてものがあり直属の上司を飛び越えるなんて事も窺われる。

これが、うまく行っているときはいいけれど想定外の事があったり守勢にまわると途端に崩れる。客観的でなく非論理的なところが原因かなぁと思う。
日本人って、そもそも物事を深く考えようとしない性質があるのではないだろうか、とにかくやってみよう、それから考えよう、なんてね。

以前、何かで読んだ記憶があるのだけれど旧海軍大学校の図上演習で、「教官に補給はどういたしましょうか?」と聞いたところ、そんなものは考えないでいいと言われたとあった。ホントかね?
旧海軍大学校と言えば海軍兵学校卒業生の中から実務経験後に優秀者を集めて入学させるエリート教育機関であるから初歩的な図上演習なんかしない筈なんだけどそんなものでいいの?

なんか想像力がないところとか、自分達の都合の悪い事はそもそも最初から議論もしないところとか、今の日本の役所とか政治家と似ているよなぁと思ってしまう。
これじゃ、今の日本もズブズブと沈んでいくばかりに思えてならない。
また言うかと言われそうだけれど、結局、日本国民が馬鹿だからだと言われても返す言葉もない。

この本の題名にある総点検とは、世間に流布されている所謂、陸軍「悪玉」海軍「善玉」説に切り込むと言う事らしいが、まあ、条約派や艦隊派とか三国同盟賛成派反対派等居てそれなりに陸軍と変わりがなかったらしい事が窺えて興味深い。
陸軍は野暮ったくて観念的、海軍はスマートで理知的だなんて先入観を持っている人には、同じ国の組織で五十歩百歩だなと思わせてくれるかもしれない。

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