新聞の書評欄でこの本を見たとき、僕と同年代かそれより上の人でバリバリに学生運動にハマっていた人以外の多くの人が感じるであろう反応は、「ふ~んマルクスかぁ」もしくは「いまどき?」ではないだろうか。
僕も、なにか学生時代の友人に何十年ぶりかに再会したような懐かしさを憶えた。
よく考えてみれば、僕らの学生時代には当たり前にそこら中に溢れていた名前だが、最近とんと聞いたことがなかった。
現在の僕とマルクスとの関係だって、押し入れのダンボールの中のどこかにある、あの薄っぺらい文庫版「共産党宣言」くらいでしかない。
この本が、マル経の理論書なんかだったら僕の好奇心も刺激されなかったかもしれない。しかし、カール・マルクスの生涯や著作についてなども含む総合的なマルクスガイドのような、評伝のようなものらしい。
そう言えば、エンゲルスとはどんな関係だったかも知らないし、ましてや子供が何人いたかも知らない。個人的な事、な~んにも知らないなぁと思ってページを開いてみる事にした。
まず、”第一部 マルクスの足跡を訪ねて”としてマルクスの生まれ故郷から学生時代、ジャーナリスト時代、新婚旅行や著作を書いた土地等を訪ねる。
そして、”第二部 マルクスは何を考えたか”として著作についての内容や書かれた環境について詳しく述べている。
最後に、”エピソード”として著者が雑誌に連載した読み物が書かれている。これが、意外と面白かった。
僕が興味のあったマルクスの生涯については、マルクス夫妻はともにある程度良家の出でユダヤ人であったことや、住んだ町や家族のこと、金遣いが荒くおんな癖が悪いとか、生涯に渡ってお金に苦労したなどと詳しく書かれていて、著者の熱心さが伝わってくる。
まあ、そうなんだぁと頷きながら読み進んで行く訳だけれど、何か読みにくい。
リズムが悪いというかギクシャクした感じで繋がりが悪い。
著者は研究者だから仕方ないよなと思いながら、そのうち慣れるだろうと思うけれどなかなか慣れてこない。
構成も、例えば”第二章 マルクスの旅”では、”社会運動の旅”、”新婚旅行の旅”、”調査報告書の旅”などと時系列に並んでいる訳ではなく項目ごとに分かれているので、どうも繋がりが悪い。
そのうち、誤字もちらほら目につくようになってきた。
例えば、マルクスがベルリン大学を除籍になった話のところでは、
”1836年に登録したマルクスの学籍は、自動的に1830年の夏までで終わっていたことになる。”
なんて書かれてある。それって、1840年じゃね?
また、
”もちろん今そんな流暢なことをいっていられる時代ではない。”
それって、悠長じゃね?
こんな感じで気になってくるとどうもいけない、あら捜しとまではいかないけれどついつい確認してしまう。
でも、有名な作家でも編集や校正で相当修正されるらしいと聞いたことがあるので、これで著者を責める気にはなれない。
結局は、編集者がしっかりすべきなんじゃないのかな?
先日も村上春樹の著作がが外国で出版されたときのエピソードがテレビで紹介されていたけれど、編集者と翻訳者が相当優秀な人たちだったらしく、原型を留めないほどぶった切られたそうだ。
そうだよな、編集者だよね。
この本の出版社は大手じゃないところのようだけれどもう少し頑張って貰いたいなぁと思った次第でした。
ただ、外国の本を読むと謝辞のところで友人や研究者仲間に出版前に間違いの指摘や助言をくれて有難うなんて記述を良く見るから、的場先生もまわりの人たちに読んで貰って、もっとチェックして貰うといいんじゃないかと思う。最終的には著者がすべての責任を負うのだから。
いろいろとマルクスのひととなりなど分かって興味深い本ではあった。