国体論 菊と星条旗 白井聡著

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1995年阪神・淡路大震災、あの光景は忘れられない。
立ち昇る煙、まるで爆撃を受けたような瓦礫の町、テレビ画面に映し出されるヘリコプターからの映像には驚いたを通り越して、何か現実味がなかった。

このとき、僕に戦慄が走った。
それは、僕が以前から漠然と思っていたことが現実味を帯びて来たからだった。

歴史は繰り返す。
明治以降、1セットめが第一次世界大戦、大正デモクラシー、関東大震災、太平洋戦争。そして、2セットめの朝鮮戦争とベトナム戦争、高度経済成長とバブル、阪神・淡路大震災とくれば、その後は戦争で焼け野原。
そして、東北の震災が起こった。正直、被災した人たちには申し訳ないのだけれど、この震災が次に来るかもしれない戦争の代わりであって欲しいと願った。

そんな思いは、あの忌野清志郎もあったと報道されていたからそんな感じを持っていた人も多かったのではないだろうか?
そんな訳で、僕は明治、大正、昭和初期頃に興味を持っていた。当時の日本人はどんな生活をして、何を思っていたのだろうか?

この本は、最初の国民の天皇から天皇の国民に至る過程を歴史上の出来事を丁寧に述べながら積み上げて行く。そして、終戦後のマッカーサーが君臨することから始まる君主としてのアメリカが日本の頂点に立ち続けている現状を国体と言う言葉で説明し、同種のレジームではないかと主張する。
結局、両国体とも日本人自身が作り上げて来たものではないかと。

小学生が外国兵に強姦されてもなんの行動も起こさない政府と国民、世界中に紛争地以外に米海兵隊の基地があるのは日本だけ、米軍に世界で一番高い駐留費を払っていてそれも二位のドイツの1.5倍以上、TPPに参加すれば農業自給率は40%から14%に下がると農水省が言っても米国が参加すると言えば追随する。

辺野古基地建設に反対している人たちに米軍を守るために派遣された警察官が土人と言って蔑視した事に良く表れているようにこの国の多くの人たちの頭の中には、いまだに白人崇拝とアジア人蔑視の感情が渦巻いているのだろう。
貧乏人は、自分より貧乏な人を見つけてバカにする。そして、安心する。金持ちにはひれ伏す。

そんな、論理なのだろうか?
しかし、今の政府、自民党の米国に対するへつらい方は異常で露骨である。これが気位ばかりが高くて怠惰な民族日本人の宿命だからか、いやそうじゃないと言いたいところだが、少なくとも国民の多くやマスコミが現政権を後押ししているのは確かだ。

実は、大正から昭和初期にかけても今の状況によく似ていて、マスコミや国民自身が望んだ方向が戦争への道だったのではないかと思えて来る。
最近僕は、かつての大国で気位ばかり高いアルゼンチンがイギリスと戦争したフォークランド紛争みたいな戦争が起こらなければいいがと思っている。

以前から漠然と感じていたことを具体的に形にしてくれたいい本と出会えました。

 

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