定期テストが終わったばかりの高校生の娘がめずらしく「図書館から本を三冊借りて来たから読む?」と言うので、一冊借りて読むことにした。
三浦しをんの”舟を編む”である。
この本、何か賞を取っていたなぁと思ってネットで調べてみると2012年本屋大賞受賞とある。へぇ~、そうなんだとちょっと期待してページを開いた。しかし、本屋大賞貰ったからと言って期待している自分のミーハー度に少しがっかりもする。
ページを開いてすぐ、違和感を感じた。
”父親に連れていってもらった映画館のスクリーンで、「官憲の犬めがぁ!」と裏切りに遭った瀕死のヤクザが血まみれで叫んでいた。”とあるところだ。
ヤクザが”官憲”なんて言うかよ、戦前の共産党員ならいざ知らず。
なんか気になるなぁ。また、あった。
”タケおばあさんは、ためらう香具矢をドアへ押しやった。「いいから、いいから。思うぞんぶん、まわったり突きあげられたり落下したりしてきなさい」”
ばあさんが、”落下したり”とは言わないだろ。若い人でもあんまり言わないと思うよ。普通に”落ちたり”でしょ。
いかん、いかん、こんなあら探ししながら小説読んだりしちゃ。と思うものの気になる。
”「ありがとうございます。では、ご相伴にあずかることにします」”
えっ? お相伴じゃね?
と思って、ネットで検索してみたらどうも”ご相伴”でも”お相伴”でもいいみたいだ。
ただ、その検索の途中で”御返事”の読みを”ご返事”でも”お返事”でも良いとNHKのサイトで見つけた。ホントかいな?
それによると”ご”が頭につくのはもともとが漢語で、元がやまとことばである言葉に”お”がつくらしい。そして、その漢語の中でも生活に密着したことばに”お”が付くものが多いらしい。
返事は”かえりごと”というやまとことばに返事という漢字をあてたので、どちらでもいい部類に入るらしい。
ほんとかいな? こじつけじゃねぇ?
サンプルとって法則を編み出して、その法則に乗っ取って判断したものが正しいとなるって事、最近みかける気がするんだけどそれっておかしくないかな?
サンプルから編み出した法則にあわないものは、例外としてそのままにしておくべきじゃないのかな、逆も真なりとはこの場合使っちゃいけないと思う。
って、ちょっと疑い過ぎのような気もするけど、そのNHKのサイトに、”どうでしょう、お理解いただけたでしょうか。”って冗談ぽく書いてあるのを見ると疑ってしまうんだなぁ(笑)
でもね、”ご返事”とか”ご相伴”なんて60年以上日本人やってて余り聞いたことなかったし、”ご返事”をネットで見たときは、この馬鹿と思ったくらい。
おまけにNHKのサイトには、”ご返事”と”お返事”の使用頻度のネットでの調査結果まで出ている。まあ、使用頻度は現状報告のつもりだろうとは思うけど、何を証明しようといているのかと思わずにはいられない。
しつこいようだけど、この場合の法則は、本当は法則ではなく傾向がみられるというくらいの事じゃないのかな?
とにかく、言葉と言うものは現在の文化的、歴史的な基準において正しいか間違いかを判断して欲しい。
ネットの多数決で決まったんじゃおかしいと思う。
いかんいかん、僕はきっとカール・マルクス入門を引き摺っているのだ。こんなふうな目で小説を読んだら三浦しをんさんにも悪いよね、なんて思いながら”舟を編む”を読んでみた。
はっきり言って、悪くないと思う。
良くまとまってそつなく書かれているし、登場人物のキャラクターもそこそこはっきりと書き込まれていて好感が持てる。
ただ、辞書を作ることを中心に持って来ているからかちょっと物語が平板かなと思う。もう少し、周りの環境や登場人物を深く書き込めば物語の厚みが出てくるのじゃないかと思った。
最近の若い作家の小説って250頁以内くらいで、サラっと読めるものが多いような気がするけど、これって出版業界の流行りというか、そういうスタイルの小説のほうが売れるのかな?
とにかく、まあまあの本でした。
でも、本屋大賞の本ってこの程度なのかねぇ、もうちょっと期待していたんだけど。
なんて、小説なんか年に数冊しか読まない僕が、言うのも気が引けるんだけど・・・。