僕は、NHKのカルチャーラジオ歴史再発見という番組をたまに聞いている。その番組では現在、法政大学の湯澤規子教授による「胃袋の近現代史」が放送されている。
そして、この本がこの番組の中で紹介されたのである。
しかし、どうして僕がこの本を読もうと思ったのかは思い出せない。たぶん、題名が面白かったからだろうとは思うけれど、まあ、このラジオ番組も面白いからそれで興味をもったのかもしれない。
この本、題名も珍しいが他にも注を含めて”はじめに”が33ページもある。”訳者あとがき”は12ページあるし、解説も14ページある。そして、本編の注だけで47ページもあるところからみても研究者が書いた学術書とみていいだろう。
そもそも、所謂歴史というものは支配階級の歴史であって被支配階級すなわち従属階級の歴史というものを探求してこそ、その時代というものを詳らかにできると著者は考えているようだ。
但し、その時代に発行された冊子等を出発点にするとそれは「民衆階級に押し付けられた文化」を基にする事になり「民衆階級により生み出された文化」ではないと述べて否定している。ごもっとも。
そこで、著者は過去の公的な記録を漁ってキリスト教の異端審問記録に行き着いたのである。
この本の主人公は、粉挽屋のメノッキオ。彼は、当時としては珍しく読み書きが出来た。
だから、宗教関連の書物を読み彼独特の論理を展開して、自分の考えを村人相手に主張するのである。その論理を咎められて異端審問にかけられて、最後には火炙りの刑に処せられるのである。
本編では、この異端審問記録での審問官や証人、そして、メノッキオの発言から彼が影響受けた思想や書物を類推したり、当時の農村社会の状況が垣間見えたりする。
そこには、16世紀のキリスト教支配階級と従属階級としての農民が描かれている。これは、売り物である冊子とかではなく、証言記録であるからして生データなのである。
湯澤さんの番組でも、明治時代の工場従業員の給食の献立に漬物がどれくらい使われたなどと言う事が出て来たりしてなかなか興味深いのだけれど、歴史学にもこう言うアプローチのやり方があって学問領域が確立されているという事だろう。なかなか興味深いというか、たのしい。