ブルースだってただの唄、どういう意味なんだろう。
まさか、憂歌団や柳ジョージの話でもあるまいし。
これは冗談だけど、そもそもブルースは音楽のジャンルと言う以外何も知らない僕にとっては、とにかく皆目見当もつかない。
そんな、好奇心からこの本を手に取ってみた。
はじめにこの本を開いたとき、なんとキャッチーで好奇心をそそる目次だろう、なかなかやるなこの著者と思った。
こんな感じ
この本は、1980年代に著者がウィスコンシン州懲治局に勤める臨床心理医ジュリエット・マーティンとその仲間達からの聞き書きをおもにまとめたものである。懲治局とは刑務所を出所する前に社会に慣れるために短期間生活する場所だそうだ。
副題に”黒人女性の仕事と生活”とあるように、内容は黒人女性の生き様をとおして彼女達の思想や信条を浮き上がらせていくものである。
そして、それは黒人社会の現在の状況であり、当たり前だけれどもその状況は歴史が積み重ねて来たものであると言う事を強く印象づける。
物事を見るとき、僕らはいつも高いところから低いところへ、大きなことから小さなことへ視線を移していくことが多いが、それでは限界がある。
トップダウンのあとはボトムアップで視点を変えながら繰り返さなくては、なかなか実態はわからない。
この本を読んで、黒人の置かれている状況や黒人社会の内実が少しは理解が深まったような気がする。
そして、彼女たちが精神性のよりどころが如何に大事で、それの持続に腐心しているかと言う事が伝わってくる。
ただ、それは遠いアメリカの話にとどまらず我々日本人にも突きつけられる事だと言える。
著者は言う、
”その彼女らの視線は、にほん列島に生きる少数者に、同化が答えです。といって疑うこともなかったわれわれ日本人を撃ちはしまいか。”
そのとおり、僕もそれを考えながら読んだ。
とにかく、ものごとを理解し知ろうとすれば総括的な研究も大事だけれど、匂いや温度や湿度が伝わってくるような個々の事例もなければ理解も深まらないと言う事をあらためて感じた。
ところで、題名の意味なんだけど、こんな意味だった。
ブルースだってただの唄。
”かわいそうなあたし、みじめなあたし。いつまで、そう歌っていたら、気がすむ? こんな目にあわされたあたし、おいてきぼりのあたし。 ちがう。
わたしたちはわたしたち自身のもので、ちがう唄だってうたえる。ちがう唄うたって、よみがえる。”
そうなのかぁ、ブルースって楽しい唄も恋の唄もありゃしない、黒人のおばさんにとっては現代でもブルースなんてつらい悲しい唄でしかないんだ。
そうだよなぁ、奴隷の唄なんだものそれが真実なんだ。
コマーシャリズムに洗脳された極東の島でブルースを聞いていたオヤジも心に刻もうと思った。
これこそ、草の根の話を聞かなきゃ死ぬまでわからなかったことだろう。