ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー  ブレイディみかこ著

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この本を僕は何で知ったんだろう? ついこの間の事なのに思い出せない。いやはや、この僕の脳細胞の退化速度の早さと言ったら恐怖を覚える程だ。
そんな事はどうでもいいが、この本、本屋大賞のノンフィクション本大賞を受賞している。買って、本の帯を見て初めて知った。

この本、在英の著者の息子である11歳くらいの少年のまわりで起る出来事とそれにまつわる少年と母である著者の会話、それを母の目線で眺めていく。
少年のまわりの子供社会の話では、いつの時代、どこの場所でもありそうな事が起るのだけれど、そして、そこからおとな社会の話にも発展していくのだけれど、とにかく、僕がニュースとかで得た知識から漠然と思っていたイギリスという国の教育内容や社会の実態が、具体的にイメージ出来るようになってくる。そして、そのギャップに僕の好奇心は惹きつけられた。

がしかし、そんな事は他の本を読んでも少なからずある。
確かに、小学生の頃からLGBTや人種等の差別や子供の権利に関して何度も教わる教育に日本の現状を比較して、教える側の本気度というか目指すものの違いを感じさせられることもあった。
イギリスが、移民社会になっていると言う話は、日本の報道などでも耳にしていたが、ここまで進んでいるのかと思う事もあった。

でも、本当に何が魅力的かとか言えば、そんな教育内容や社会の実態もいいけど、一番は11歳の少年である。
とにかく、この少年、聡明で、すごく感受性豊かで、やさしい。
「エンパシーとは何か?」と問われて、「自分で誰かの靴を履いてみること」って言える子が何人いるだろう。この子のお父さんでさえ、「それ、めっちゃディープっていうか難しくね?」と言ってしまう。

確かに、ここで著者が言っているように、自分で誰かの靴を履いてみることと言うのは、他人の立場に立ってみるという英語の定型表現らしいが、それにしても、こう言ってすましている11歳の少年は、かっこいい。
小学校6年生の頃の我が子を振り返ってみても、息子を含めて周りにも居なかったなあと思ってしまう。

いやいや、本当は我が息子もこの少年のようだったのかもしれないけれど、この本にときどき出て来る漫才のボケのようなお父さんと同じ父親だった僕には、こんな事言う資格はないのかもしれない。
それに世のお母さんだって、こんな出来すぎ君なかなかいないよなあとか、将来我が子とこんなフランクな、そして信頼される関係になれたらいいなあとか、いろいろと思うこともあるのではないだろうか。

そして、僕自身の子供時代を思い出しても、まわりのおとな達や教師は子供の考えることなんかには無関心だったし、子供自身もこんなに世の中のことに関心を持っていなかった。そういう意味でも、こんな家庭環境や教育環境は羨ましい。我が子達に対しても、親としてこんなふうにふるまってこられたかと言われれば、自信がない。

そして、この親子関係にもまして、この本に出て来るいろいろな問題とその対応ぶりが素晴らしい。それが、別に子供の成長の過程だけに出て来る話ではなく、おとな社会でもそこら中にある普遍的な出来事であることに読んでいる間に気づいてきた。
そう、この話はイギリスの話であり11歳の少年の話ではあるのだけれど、日本での話でもあり64歳の老人の話でもあるのだ。

そして、文体も平易で軽やかでありすらすらと読める。なのに内容はなかなか濃く、いろいろと考えさせられる事柄も多い。
僕の中では、今年一番の本かなと思ったし、大学生の子供にも薦めてみようと思う。

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