先日、”土と内臓”という本の書評を書いたけれど、そのときに紹介したように、この本の著者が”土と内臓”の著者夫婦の旦那さんである。
と言う事で、この二冊の本は僕の中ではセットのように思えているので、もう一度ざっと読み直して紹介したい。
この本を読み直しているとあちこちで立ち止まって本気で読んでしまう。ああ、そうそう、これこれ、思い出したぞ、何だっけ、それで。
六十歳も過ぎると一冊の本を読んでも少したつと忘れてしまう。だから、また読み直すと、好奇心がむくむくと湧き上がってくる。なかなか、面白い。一冊で二度楽しめる。
なんのこっちゃ、コストパフォーマンス抜群ですな(笑)
この本の最初から最後まで流れているのは、土壌の脆さと人間の愚かさ、すなわち世界史そのものである。そして、それが現在も続いていることへの警鐘とジレンマ、将来への微かな希望である。
土壌の衰えは、文明の衰退や戦争を引き起こして来た。その土壌は、厚さ数十センチと言う事で地球の半径6380Kmの1000万分の1くらいで、これを人間の皮膚の厚さ約2ミリと身長との比率1000分の1と比較するといかにも薄い。
そして、ダーウィンが生涯を通してミミズの土壌への影響を研究していた事を紹介しながら、いかに土壌が薄くて脆いものかを簡単に説明して行く。
ここまで、30ページ程だけれども好奇心がムクムクと湧いてきてしまう。
うまい具合に引き込まれてしまった感が無きにしも非ずだけれど、それが心地良い。
文明が生まれる前提に食料生産に関わらない人々、すなわち役人や軍人や貴族等を養うほどの食料収量がなければならないなら、それはいつ始まったのだろうか?
現在、確認されている最初に計画的に穀類の耕作が始められたダマスカスから北東に290Km離れたアル・フレイラという地の話からだんだんとメソポタミア、エジプト、中国、そして、ギリシアでの土壌侵食、人口が増えたローマを養うナイルの泥、近代まで続く食い物にされる植民地へと話は進んで行く。
その根底には、その宗主国民を食わせるためだとかお金になる農業とか言うものがある。
人口の増加と人間の欲望が、土壌を疲弊させ表土をはぎ取っていく様、特に著者自身の母国である初期のアメリカの愚かさを、そして、化学肥料と農薬による農業には限界があり有機農業と土壌の管理こそが、農業には必要だと淡々と述べていく。
そして最後の章、”第十章 文明の寿命”へと進んで行く。
「地球はどれだけ人を養えるか?」
現在行われている化石燃料と化学肥料に依存した農業がそんなに長続きすることはなく、また、化学肥料や農薬が効果を発揮するのは、良質の土壌があってのものであり、今現在、世界の土壌は減り続けているのだと。
どんなに化学肥料を与えても、植物がお腹いっぱいになって食べられなくなれば収量は増加しない。もうその兆候は表れ始めている。あとは、遺伝子組み換えしかないが、それは極めて競争力の強い品種を農業環境や自然環境に放ち、その結果はどうなるかわからないというリスクを伴うと言う。
そして、最後に著者は
”文明の生存は土壌を投資として、商品ではなく価値のある相続財産として、単なる泥ではない何かとして扱うことにかかっているのだ。”
と結んでいる。
最近読んだ大前研一氏の本に、日本農業の再生はオランダのように競争力のある商品作物を作って輸出すればいいなどと書いてあった。
実は、最近の日本の野菜は既に国際競争力があって、だからスーパーに国産野菜が並んでいるのだけれど、この大前氏の主張など典型的な日本の知識人の底の浅い意見だと思う。
毎日、日本人はレタスやほうれん草だけを食べて、おまけに冷蔵して貯蔵するためにたくさんの電力を消費することになるだろうけど、そんな事まで考えているのだろうか?
それとも、コメや小麦は輸入すればいいと思っているのだろうか?
しかし、世界的な天候不順が伝えられる中で大規模な不作になって自国民の食料がないのに、穀物を輸出する国があるだろうか?
どんなに大金を積まれてもそんな国はないだろう、そんな事をすれば、その為政者はその国にはいられないだろうからだ。
とにかく、こう言う評論家や日本の政治家は、何の価値でも一度現在の貨幣価値に変えてしか、ものを考えることができないのかと思ってしまう。自動車もコメも一緒だと言うことか?
そうだとしたら、底の浅い考えしか出て来ないのは当然だ。
農水省が現在の食料自給率40数%がTPPが発効すると10数%に下がってしまうと警告していたが、それでも政府はTPP参加を表明した。
アメリカが参加すると言えばホイホイと後に続き、降りると言っても引っ込みがつかないからそのまま継続する。
こんな国に誰がした、そう、僕たち愚かな国民がしたんだよなぁ。
この本、日本の政治家やその政治家にへつらっている役人の皆さんに読んで貰いたい。